199

あと一つ何か書けばピクシブの表面上の作品数が200になる。

よくもまあここまで何か書き続けてきたな、とぼんやり思ってはや1週間?

200番目には何がいいのかなあと思うとなかなか踏み出せなくて

199で止まったまま。

何か書いた方がいいのはわかるけど、今まで見たいにツルっと書けない。

特に大した意味は全くないけど、おたくとしては「キリ番」には敏感。

絵の才能がないと気が付き、筆を折りはや more than one decade。

漫画を描くのも好きだけど、絵の才能がないと無理。

文字はいいよ。

書くだけだもん。

 

多感な思春期におたく同人コンテンツが人生に介入することの重大さ。

人格形成の大切な時期に食い込んでくるおたく。

高校受験だっていうのに夜の2時まで仁王くんの夢小説を読んだり

仁王くんのホストパロとか、仁王くんの夢小説とか。

 

そこで垣間見る管理人さん(当時はhtmlでポチポチするスタイル)の

私生活。

ブログとか読みこむともう大変。

 

一番私の印象に残っているのは

「生理でタンポンいれてて、私の血で膨らむタンポンが仁王くんだったらいいのにな」

って思う夢小説。

いや、すごすぎでしょ。

現実と二次元を上手につなぎすぎでしょ。

DJ?フロア沸いちゃうよ?

あ、ダメだ。こうゆう変な突っ込みがもうおたく、はぁ、我々は所詮おたくなのです。

human after all、おたく after all。

 

夢小説って時点で読む側はほぼ女の子って特定されていて

そこで切って離せない「生理」ネタを持ってくるわけ。

自分の身近なもの、自分の体と二次元の仁王くんが生理を通してつながるわけ。

近くに仁王くんを感じられるわけよ、我々でも。

そうゆう、「近くにいる感じ」が夢小説には必要だと思うのよね。

 

夢小説に限ることじゃないけど、「近くにいる感じ」は必要だと思う。

私はそれを目指してるんだけど、

まえ一度まささんに「もこさんは本物を書いていますよね(意訳」

みたいなことを言ってもらえて泣きそうになった。

(泣かなかった)

だから私の書く話に出てくる人はみんな読んでくれるみんなの友達なわけ。

みんなが悩むようなことで悩んで、みんなと同じ目線で物事みてるの。

もちろん「こちら(文字」と「そちら(画面の向こう」だから

会話はできないけど、文字を読んで、わかる、わかるわ って思ってもらえたら

もうそれって友達じゃん、受動的じゃないよ。

文字読んでるんだもん、もうコミュニケーションだよ。

 

と、いうことで中高生時代にインターネットの恩恵を存分に受けた私は

いざ自分の番だと張り切って書いているわけです。

文字書くことで仲良くなってくれる人も幸いなことにいらっしゃるし。

私がピクシブに文字上げてなかったら仲良くならなかった人とかいるし。

自分が受け取ったものは返さないと。

いい、こうやって文化は発展するのよ。

ニコニコ時代の我々はn次創作のおたくなの。

小山田とか小沢がするみたいに、オマージュしておたくするのよ。

おたくと渋谷系は類似してるのよ!!!!!!

(?)

 

既存のものと既存の物を組み合わせて新しいものを作るわけよ。

おたくだから、n次創作のおたくだから。

文化なの、文化なのよ。

遣唐使とか遣隋使とかやってんじゃん、異文化交流とかで交換留学してんじゃん。

文化、文化なのよ。

文字も文化なのよ、文だから。

だから書くのよ。おたくだから。

 

たぶん10年以上おたくを彷徨い書き続ける野良のおたくなの。

書くしかないの。

 

最近、ようやく読んでくれる人がついてきて、嬉しい。

だからこそ、200が踏み出せない。

珍妙なブログみたいなものとか書きかけのものとかを入れると

正しくは200ではないのだろうけど、表面上は200。

 

とにかく、とにかくよ。

私が今までもじもじと文字を書いてこれたのも読んでくれる人がいるからよ。

(文字だけにね、ちなみに私はシャイです)

ありがとう、ありがとうみなさん。

みんなの健やかで穏やかな日々を心から祈っています。

美味しいものを食べて、よく寝てください。

無理しないでください。

私はあなたが大好きです。