花咲かった街で

病気は相変わらず流行っていますがみなさんはお元気ですか?

私はすこぶる元気です。

そりゃもういつものごとく毎秒毎日いつでも息絶えてもいい気分です。

人生悔いなし、9174!

献血も70回したし、あとは髪の毛を寄付できれば完璧だけど

別にそこまでこだわらなくてもいいかな。

会いたい人ももちろんいるけど、会えたらいいかな。

できれば人の役に立ちたかった。

 

訳:いつも通りです。

 

ということで、病気でのいろいろな決まり事が緩くなっていきそうですね。

正直いって、私が生きているうちに世界中がこのような状況になるなんて思っていませんでした。

東日本大震災も「え、私生きているんですけど?」みたいな感じでした。

私たち、なかなかすごい激動の時代に存在していますよ。

なんていったってオリンピック延期ですからね。

「え、私生きているんですけど?」みたいな。

なかなか歴時の授業でも目にしないワード。

オリンピック延期。

その渦中で生きているっていうの?私、今ここで息しているの?

これがコロナ渦?

(読めないよね)

 

マスクは息しずらいし、マスクせずにコンビニ入るとめっちゃみられるし

これが新しい生活様式

字面から受ける印象は「アーバン」そんな感じよね。

安藤忠雄のコンクリート打ちっぱなしの建築。

音楽なんか聴きながら昼間からスパークリングワイン飲みながら

文庫本なんか読んじゃう。

夜になったら音楽聴きにみんなが集まる地下室に集まって

揺れる。

もしくは

 


Mia Wallace | Pulp Fiction - Girl, You'll Be A Woman - Urge Overkill

 

こうゆうのを新しい生活様式っていう言葉からイメージする。

 

ただ今回、こればっかりはどうしようもないから仕方がないね。

let it beだよ。

流れに任せて、みんなに迷惑かけないようにしましょうね。

 

今回の連休はずっと部屋にいた。

ハンドメイズテイルばかりみていた。

may the lord open。

ただ、それだけじゃつまらないから毎日ピクシブでなにやら書いていた。

毎日誰かになって誰かの日々を書くのは大変だった。

高校生の時は毎日書いてたからまぁいけるっしょ~、とは思っていたけど

覚悟を決めて書かないといい感じ物は書けなかった。

(覚悟を決めて書いているものは表紙が違います)

私が書くとはいっても私の文字じゃなくて、あの人たちの文字だから

こうして自分の言葉で書くことは楽しい。

ツイッターでいつも喋ってるけど)

 

遠出もできず実際に見たり体験したり、書くことはなかなか難しかった。

でも今までいろいろ見て回ってきて、その引き出しで書けた。

 

今年の冬はトロントへいった。

Pさんに会いたいな~なんてぼんやり思ってトロントにいった。

あとはクリスタルキャッスルズがトロント出身だし、

レッドベルベットのウェンディ(ソンスンワン)さんもトロントにいたって言うから。

特にこう、気合を入れてトロント!と思わずにいったので

なにもかも曖昧で寒かったぐらいの印象。

枯れはてたハイパークを歩いて、寒くて部屋にしまわれたカピパラの飼育小屋を眺めた。

虚無だった。

 

それでも、町並みなんかはぼんやり覚えているもので

ハンドメイズテイルを見ていて見覚えのある街並みが出てきたときはちょっと嬉しくなった。

そうゆうことが教養なんだと思う。

私は横浜に来るまで横浜のことなんか全然知らなかった。

すんごい昔にデートで桜木町の移民資料館みたいなのに行ったぐらいの思い出。

(なんじゃそりゃ)

だけど今じゃもう、テレビを見ていても見たことがある場所がよく映る。

きっと横浜にこなけりゃよくわからん港。で終わっていたであろう桜木町の景色とか。

パっと映像を見てすぐ答え合わせができる。

八王子あたりでウネウネしていた時だってそうだ。

全然東京のことなんか知らなかったけど、お昼でよくみるアルタ前が知ってる場所になる。

身近なものになる。

スクランブル交差点だってそうだ、あの流れに乗って歩くと自分が街によって希釈されるような気分になる。

テレビで見るあの場所が自分のものになる。

 

実際に足を運んで見て回る。

熊本にだっていった。

千歳を感じたかった。

いままでやりたいことは機会があるときに残さずやってきた。

バンコクの時のルームメイトの地元だっていったし、

やつらが働いている大学や機関も実際に見た。

そこで見たことや感じたこと。

天気の悪いど田舎の韓国の社員寮とか、空気のおもっくるしいジョグジャカルタの緑生い茂る大学とか。

多摩ニュータウンとか。

アーケードのガッチリした熊本の商店街とか。

 

それに男の子達との会話とか。

男の子たちの部屋とか、いじわるなこと言われたこととか。

その場に遭遇すると「ああ、これは書かなきゃいけない」と思う。

例えば、バカみたいに部屋までついていって「くる?」ってドアノブに手をかけて

言われるときとか。

ほんとにあるんだ・・・と思ってしまう。

そして書く。(そりゃね)

 

外に出られなくなったけど、そうゆう日々、一瞬の積み重ねを

手に取るように思い出せるから書ける。

 

つつじが目に刺さるようなピンク、で花盛っているけど

私たちは部屋の中で過ごすね。

いつも通りだね、あんまり何も変わらないね。

気が付くと誰とも話さない。

社会との接点はツイッター

いつも通りだね、あんまり何も変わらないね。

 

そして、たぶん私の人生の夏休みはもうすぐ終わる。

幸運なことに手にすることができた私の第二の人生の夏休み。

これが終わったら私はどうなるのだろう、息が詰まってしまうかもしれない。

どこに居たって私は引きこもってツイッターやって、音楽聴いているのだけど。

 

最近仲良くなった男の子がいるので残念だ。

仲良くなるような男の子が現れるといつも終わらされる。

今回はそうでないことを祈りたい。

私の夏休みが少しでも長く続くように祈るしかない。