こうして恋は終わったのだ

ピチカートファイブとか聴いて思春期を過ごすと

恋をだだくさにするのが普通だと思い込んでしまう。

初期のピチカートファイブは3時間も猫と一緒に電話を待っていたのに

いつのまにやら昔の恋人に猫に餌をあげてと頼んだりするようになってしまう。

 

恋はきっとどっちかが 終わり って思えばそれが終わり。

ずっと思い続ければ終わらない。

どんなジャンルだって、原作が終わっても二次創作し続ける人がいる限りは

終わらないものですよ。

プリキュア5のココとナッツは、ライターみたいにボっと火がついて

ぴゅっと終わっちゃったね。

反対に電王は長かった気がする。

今の公式で動きがあるからだろうけど。

 

いや、そんなおたくの話はDOでもよくって。

 

我々だって、小沢と小山田が同時にフジロックに出た時

「もしかして」って思った反面「絶対あり得ない」と心の底で分かっていたはず。

だって、あんまりにも国交が断絶され続けてるから。

キューバアメリカぐらい断絶されてた。

 

決定的な何があるわけでもないけど、希望が持てたり持てなかったり。

文字とかのやりとりでなんとなくわかる恋の息の根。

どちらもなんにも言いださないときなんかもうよくわかんない。

基本的に恋はよくわかんないけど。

互いに言葉を鑿を用いて仏様でも掘るみたいに

ぼんやりしたものを削りつづけて形を作る。

結果がどうであれ、それが二人の答え。

 

それができないときなんかはもう、おたくと公式みたいな。

解釈に解釈を重ねて、熟考して感情を卵油みたいに煮詰めてしまって

抜け出せなくなっちゃう。めんどくさいし考えるのやめたいけど止められない。

「終わり」って思えるまでそのめんどくさい感情と付き合わなきゃいけない。

きっと相手がなくなったときなんかしんどくてたまんないだろう。

なにせ「おわり」がないから。

自分自身の問題。いつ終わりにするか。

 

なんか偉そうに書いてるけど、恋の終わりってつらいし

恋は終わった「のだ」っていう女の子らしいポップな語感で誤魔化す。

別に終わったわけじゃないけど続きもしない。

自分次第。相手次第。

一人でも二人でも恋はできるとおもう。

 

 

振り出しに戻るけどピチカートで育った私は恋をたくさんするのが

義務みたいに思ってるところがある。

残念ながらそんなにたくさん恋はできていない。

才能がないな。

まあピチカート自体も小西康陽の「理想の女の子」を

野宮さんに演じさせていた部分があると思うから

フィクション中のフィクションだと思うんだけどね。

それでもやっぱりピチカートみたいな日々を送ってみたいな なんて思っちゃう。

現実からは程遠い。

 

女の子のみなさんはどうかしら。

辛くない?なんかそうゆう強迫観念みたいなのない?

もっと自由に生きたくない?

ていうか自由てなに?

恋をしたって、恋っていう型にはめられるわけだから自由じゃないよね?

女の子らしく って何?

なんでトイレの色は女性が赤なの?

ヒーロー物の赤はリーダーで男性的なものなのに?

でも恋をすると乙女ちっくになっちゃうのなんで?

 


EXID - CREAM (Japanese Ver.) (Color Coded Kan|Rom|Eng Lyrics)

 

自由になりたいものですな。

恋のたびに恋の終わりのこと考える君にとっては記念すべき日。

 


そして今でも PIZZICATO FIVE

 


小西康陽 feat. 野本かりあ/東京は夜の七時 @PJ

 

小西康陽は天才ですか。

 

自分らしく生きること、閉じ込めていたのは誰。

泣ける。